《書(shū)畫(huà)釋疑》連載之六·學(xué)書(shū)先求似 然后再取神 學(xué)書(shū)先求似; 然后再取神。
黃庭堅(jiān)①在《論書(shū)》中說(shuō)過(guò):“學(xué)書(shū)時(shí)臨摹,可得形似。 大要多取古書(shū)細(xì)看,令入神,乃到好處。惟用心不雜,乃 是入神要路?!鼻迦送蹁谝舱f(shuō):“凡臨古人始必求其似, 久久剝換,遺貌取神?!币簿褪钦f(shuō)先過(guò)技術(shù)關(guān),再努力取 得藝術(shù)之神。有其形,方可談神。 筆墨手札之十。庚子仲鐘月魚(yú)公盛欣夫并記。
①黃庭堅(jiān)(1045—1105),字魯直,號(hào)山谷道人,洪州分寧(今 江西修水)人。北宋詩(shī)人、書(shū)法家。 ②王澍(1668—1743),字蒻林,號(hào)虛舟,江蘇金壇人。 績(jī)學(xué)工文,尤以書(shū)名。
【日語(yǔ)譯文】
書(shū)法を?qū)Wぶにはまず似ることを求め、
黃庭堅(jiān)は『論書(shū)』の中で「學(xué)書(shū)時(shí)臨摹可得形似。大要 多取古書(shū)細(xì)看、令入神乃到好處。惟用心不雜、乃是入神 要路?!梗〞?shū)道を?qū)Wぶには、臨摹をして形を似させ、古 代の碑帖を重ねて研究し、內(nèi)在する精神の要領(lǐng)を得て、 懸命に勉強(qiáng)してこそ、書(shū)道の精神を理解することが肝要 である。)と言った。清人の王澍もまた、「凡臨古人始 必求其似、久久剝換、遺貌取神?!梗ü湃摔蚰?xiě)して、 まず形の似ることを求める。一歩一歩突っ込んで、不要 なものを取り除き、真実だけを殘して、更に精神を求め る。)と言った。つまり、まずは技術(shù)的な問(wèn)題を乗り越 えて、蕓術(shù)の精神を得ることができるように努力すると いうことである。その形があってこそ、精神を語(yǔ)ること ができるのである。
筆墨自書(shū)の十。庚子仲鐘月魚(yú)公盛欣夫記す。
藝術(shù)世代稱(chēng)雅事,
品高古淡寫(xiě)性情。
“品高者,一點(diǎn)一畫(huà),自有清剛雅正之氣;品下者, 雖激昂頓挫,儼然可觀,而縱橫剛暴,未免流露楮外。”(朱 和羹① 《臨池心解》)故學(xué)書(shū)、學(xué)畫(huà)者,必先立品。品高之人, 就會(huì)心平氣和,端正姿態(tài),不急不躁,先技后藝,步步深入, 方能達(dá)到理想彼岸。 筆墨手札之十一。庚子寅月魚(yú)公盛欣夫并記。
①朱和羹(約 1795—約 1850),字指山,江蘇吳縣(今蘇州) 人。
蕓術(shù)は代々雅事と呼ばれ、
品位高く、古風(fēng)で、質(zhì)樸で、性情を描く。
「品高者、一點(diǎn)一畫(huà)、自有清剛雅正之氣。品下者、雖 激昂頓挫、儼然可觀、而縱橫剛暴、未免流露楮外。」(品 位が高ければ、構(gòu)成が広くなり、點(diǎn)畫(huà)には正しい気風(fēng)が 現(xiàn)れる、品位が低俗であれば、自然に作為、虛偽が現(xiàn)れ る。)(朱和羹『臨池心解』)。それゆえに、書(shū)法、絵 畫(huà)を?qū)Wぶ者は、まず品格を立てる必要がある。品格の高 い人は心が穏やかに、姿勢(shì)が正しくなり、焦ることなく、 技を?qū)Wんだ後、蕓を身につけ、一歩一歩深く進(jìn)み、理想 の彼岸に達(dá)することができる。
筆墨自書(shū)の十一。庚子寅月魚(yú)公盛欣夫記す。
技術(shù)是個(gè)硬道理,
藝術(shù)是個(gè)軟道理。
硬道理,須實(shí)干。需一步步深入,一點(diǎn)滴積累。所謂 “硬”,在于苦功、實(shí)干、無(wú)虛處,須悟道明理,需善學(xué)巧取, 舉一反三。所謂“軟”,在于巧、變、化,以眾賢為我用, 并非在其次。 筆墨手札之十二。庚子元春魚(yú)公并記。
【日語(yǔ)譯文】
技術(shù)は硬い道理、
蕓術(shù)は柔らかい道理。
堅(jiān)い道理というのは実際にやらねばならない。一歩一 歩深く、少しずつ積み重ねていく必要がある。いわゆる 「硬」とは、苦學(xué)にあり、実際にやらなければならず、 虛構(gòu)はない。柔らかい道理は、道を悟り、理を明らかに しなければならない。よく學(xué)んで巧みに取り、一を?qū)Wん で十を知るのである?!溉帷工趣锨?、変、化である。衆(zhòng) 賢を我が身とするのは、その次ではない。
筆墨自書(shū)の十二。庚子元春魚(yú)公記す。
古今之書(shū)相較,
遜在技非在藝。
書(shū)法之法,先技而后藝。技與藝比重并非對(duì)等。古人 自幼臨池,書(shū)、讀并進(jìn),一生用毛筆,唯是為實(shí)用,重在 技術(shù),輕于藝術(shù)。如今忽略技術(shù),怎談藝術(shù)。學(xué)書(shū)法看似 簡(jiǎn)單,一竿毛筆一張紙,實(shí)為最難。手工技藝,三年滿師。 而書(shū)法三十年未必耳。若要趕超前人,必須重技,必須補(bǔ)課, 必須補(bǔ)上“童子功”,乃不二道也。 筆墨手札之十三。庚子暮春魚(yú)公盛欣夫于魚(yú)公書(shū)院。
【日語(yǔ)譯文】
古今の書(shū)を比較し、
劣るのは技であり、蕓ではない。
書(shū)法の法はまず技で、その後は蕓である。技と蕓の比 重は同じではない。昔の人は幼い時(shí)から池に臨んで、筆 で書(shū)き、本を読むことを同時(shí)に行い、一生筆を使っていた。 それを?qū)g用していたのである。蕓術(shù)よりも技術(shù)を重視し ていた。現(xiàn)在は技術(shù)を軽んじているが、それでどんな蕓 術(shù)が語(yǔ)れるだろうか。書(shū)法を習(xí)うのは筆一本、紙一枚で 簡(jiǎn)単そうだが、実は一番難しい。職人蕓は三年で年季が 明ける。しかし、書(shū)は三十年でも到達(dá)できるとは限らない。 先人を追い抜くには、技能を重視し、補(bǔ)習(xí)をしなければ ならない。必ず基礎(chǔ)を補(bǔ)わなければならない。これが唯 一無(wú)二の道である。
筆墨自書(shū)の十三。庚子暮春魚(yú)公盛欣夫記す。


盛欣夫,字甫之,號(hào)魚(yú)公。堂號(hào)盛莊、夢(mèng)齋、惕廬、子魚(yú)堂。1949年1月(戊子除夕)生于浙江桐鄉(xiāng)(崇德)盛家木橋。書(shū)壇名宿鄒夢(mèng)禪弟子,國(guó)家一級(jí)美術(shù)師。中國(guó)書(shū)法家協(xié)會(huì)會(huì)員,當(dāng)代作家聯(lián)會(huì)理事,中國(guó)武術(shù)協(xié)會(huì)會(huì)員,浙江當(dāng)代中國(guó)畫(huà)研究院副院長(zhǎng),寧波財(cái)經(jīng)學(xué)院教授,寧波大學(xué)客座教授,政協(xié)海曙區(qū)第二、三、四屆專(zhuān)家型特聘委員,海曙書(shū)畫(huà)院副院長(zhǎng),中國(guó)漁業(yè)協(xié)會(huì)漁文化分會(huì)理事,寧波漁文化促進(jìn)會(huì)藝術(shù)中心副主任,桐鄉(xiāng)市書(shū)法家協(xié)會(huì)名譽(yù)主席,景德鎮(zhèn)魚(yú)畫(huà)陶瓷研究院名譽(yù)院長(zhǎng),魚(yú)公書(shū)院院長(zhǎng)。
數(shù)十年躬讀老莊,用心晉唐,意會(huì)晚明,深研楚簡(jiǎn),獨(dú)鐘簡(jiǎn)草,書(shū)畫(huà)自己?;驎?shū),或畫(huà),或文,或陶瓷繪,其實(shí)只為書(shū)畫(huà)一件事,人生七成在筆墨。如是走來(lái),樂(lè)在其中。曾獲"中國(guó)書(shū)法百杰"稱(chēng)號(hào)、第二屆中國(guó)書(shū)法蘭亭獎(jiǎng)?教育提名獎(jiǎng)、嘉興市人民政府藝術(shù)教育成果獎(jiǎng)。魚(yú)瓷作品與魚(yú)類(lèi)繪畫(huà)雙獲農(nóng)業(yè)部、中國(guó)漁業(yè)協(xié)會(huì)金獎(jiǎng)。2019年,書(shū)畫(huà)六件(組)入藏浙江省博物館等。
主要著作有《甫之識(shí)聯(lián)》《魚(yú)譜》《魚(yú)瓷》《國(guó)畫(huà)蔬果魚(yú)類(lèi)技法叢譜》《行草十八要旨》《盛莊藝文)(獨(dú)寫(xiě)人生》(書(shū)寫(xiě)入心》《魚(yú)公書(shū)畫(huà)集叢》等30余種。
格言:順其自然 必有自我
【日語(yǔ)譯文】
作者の紹介
盛欣夫、字は甫之、號(hào)は魚(yú)公。堂號(hào)は盛莊、夢(mèng)斎、惕廬、子魚(yú)堂。1949年1月(舊曆戊子年の大晦日) に浙江桐郷(崇徳) の盛家木橋に生まれた。書(shū)壇の名人でめり権威であった鄒夢(mèng)禪の弟子で、國(guó)家一級(jí)美術(shù)師である。中國(guó)書(shū)法家協(xié)會(huì)會(huì)員、當(dāng)代作家聊誼會(huì)理事、中國(guó)武術(shù)協(xié)會(huì)會(huì)員、浙江當(dāng)代中國(guó)畫(huà)研究院副院長(zhǎng)、寧波財(cái)経學(xué)院教授、寧波大學(xué)客員教授、政協(xié)海曙區(qū)第二、三、四期専家型特任委員、海曙書(shū)畫(huà)院副院長(zhǎng)、中國(guó)漁業(yè)協(xié)會(huì)漁文化分會(huì)理事、寧波漁文化促進(jìn)會(huì)蕓術(shù)センター副主任、桐郷市書(shū)道家協(xié)會(huì)名譽(yù)主席、景徳鎮(zhèn)の魚(yú)の絵の陶磁器研究院名譽(yù)院長(zhǎng)、魚(yú)公書(shū)院の院長(zhǎng)です。
數(shù)十年にわたり老莊をひたすらに読み、晉唐の文化を體得し、明末の文化を理解し、楚簡(jiǎn)(竹簡(jiǎn))の研究に動(dòng)しみ、草書(shū)を?qū)煠椁?、自身を?shū)畫(huà)で表現(xiàn)してきた。書(shū)、畫(huà)、文、陶磁器の絵をのすが、ただ書(shū)畫(huà)に心をこめ、筆と墨の人生を歩んできたが、楽しさはその中にあった。かつて、「中國(guó)書(shū)法百傑」の稱(chēng)號(hào)を與えられ、第二回中國(guó)書(shū)法蘭亭賞·教育賞にノミネートされた。魚(yú)の陶磁器作品と魚(yú)類(lèi)の絵畫(huà)がいずれも農(nóng)業(yè)部、中國(guó)漁業(yè)協(xié)會(huì)の金賞、嘉興市人民政府蕓術(shù)教育成果賞を受賞。2019年、書(shū)と絵六點(diǎn)(組)が浙江省博物館などに所蔵品として収められた。
主な著作には、『甫之識(shí)聯(lián)』『魚(yú)譜』『魚(yú)磁』『國(guó)畫(huà)野菜·魚(yú)類(lèi)技法羲譜』『行草十八要旨』『盛莊蕓文』『獨(dú)寫(xiě)人生』『書(shū)寫(xiě)入心』『魚(yú)公書(shū)畫(huà)集羲』等30余種がある。
格言:自然に従えば、必ず自我有い。