《書畫釋疑》二十四·水墨賦魂 學(xué)養(yǎng)傳神文/盛欣夫
以線條造形,用水墨賦魂。隨色彩達(dá)意,靠學(xué)養(yǎng)傳神。
用筆在于簡練,線條在于內(nèi)涵。水墨在于韻味,色彩在于淡雅。主要功夫到家,多讀文史哲地,健全審美理念。取長補己短板,完美藝術(shù)人生。
筆墨手札之八十五。戊子撰,庚子啟明崇德盛家木橋魚公盛欣夫于盛莊。
線で形をつくり、水墨で魂を與える。色彩に応じて意を表す、學(xué)問によって精神を伝える。執(zhí)筆は簡潔のためであり、線は內(nèi)包によって決まる。水墨は趣があり、色は淡雅である。腕前を身につけて、文學(xué)、歴史、哲學(xué)、地理を?qū)Wび、審美の理念を完全なものにする。他人の長所をとって自分の不足を補い、蕓術(shù)人生を完璧にする。
筆墨自書の八十五。戊子撰、庚子啓明、崇徳盛家木橋魚公盛欣夫が盛莊で。
亦象亦不象,意象不具象。
大象不形象,不象卻神象。
東方審美,意象為上。無需以西方抽象來量測。東方的筆墨線條,已是藝術(shù)。無需以形象、抽象為審美標(biāo)尺來評判,而是以東方線條、文化內(nèi)涵傳遞精神力量。如吳昌碩的梅花,講線條之蒼勁,而非比梅樹枝干的象與否,亦非抽象所能概之。它是一種文化,是一種精神,包含著中華幾千年文明之積淀。
筆墨手札之八十六。戊子撰,庚子郁蒸月魚公盛欣夫。
似ているような似ていないような、境地が似ても具象にあらず,およそ似ているが形は似ず、似つかないがかえって非常に似ている。東方の美意識は、イメージが一番重要である。西洋の抽象を?qū)徝坤挝锊瞍筏趣筏圃u価する必要はない。東方の筆墨線はすでに蕓術(shù)である。形象、抽象を?qū)徝坤位鶞?zhǔn)として評価する,必要はなく、東方的な線、文化的な內(nèi)包で精神力を伝えている。呉昌碩の梅のように、線の力強さで現(xiàn)わす。梅の枝が似ているかどうかではなく、これは抽象では表せないことである。それは一つの文化で、一つの精神であり、中華數(shù)千年の文明の蓄積を含んでいる。
筆墨自書の八十六。戊子撰、庚子郁蒸魚公盛欣夫。
古人崇技,
今人尚藝。
技與藝,在古代基本同義。技,指本領(lǐng)、工匠,《荀子·富國》“百技之所成”。藝,指才能、技藝,《論語·雍也》“求也藝”。朱熹注:“藝,多才能?!比唤窳x則將“藝”抬升了身價,賦予了“形而上”的內(nèi)涵。這倒并非壞事,問題是有人誤解為上下等級或有腦力勞動與體力勞動之別。圖個省力,乃人之天性。用體力去追求低等,總不如不用力或少用力直接獲取藝術(shù)來得劃算。
再看,使今人望塵莫及的古人,無論“二王”、顏柳,還是八大、石濤以及所有先賢,可沒有一人功力欠深厚。論條件、時間,還是社會、氛圍,皆不及今天。惟有一點,就是童子功與書寫習(xí)慣遠(yuǎn)勝當(dāng)代。就差最后一點,吾輩怎能心甘?所以沒有必要提前服輸??梢赃@樣結(jié)論:凡具天賦者,只要有心、善學(xué),無事不可達(dá)也。
筆墨手札之八十七。庚子端陽撰重陽修訂,魚公盛欣夫于甬上魚公書院。
古人は技を崇め、
今人は蕓を尚ぶ。
技と蕓は、古代においてほぼ同義である。技とは技量のことである。職人は、『荀子 · 富國』の言った百技の成業(yè)(多くの技術(shù)を一身にした)である。蕓とは才能のことである。技蕓は、『論語 · 雍也』に「求也蕓」とある。朱熹の注では、「蕓、多才能」(蕓、多種の才能の和)とある。けだし、今では「蕓」の価値が引き上げられ、「形而上」の內(nèi)包が與えられている。これは悪いことではないが、問題は上下階級や頭脳労働と肉體労働の違いだと誤解する人がいることである。力を節(jié)約しようとするのは人の天性である。體力で低いところを追求するよりは、力を入れないか、力を少しだけ入れて直接蕓術(shù)を獲得したほうが得だと考える。さらに見てみると、今の人にはるかに及ばない古人、二王、顔柳にしても、また八大山人、石濤やすべての先賢にしても、能力が深くない人はいない。しかし、條件、時間、社會、雰囲気は今日に及ばない。ただ一つ、基礎(chǔ)力と書く習(xí)慣だけは現(xiàn)代に勝っている。最後の少しだけ及ばないことを、どうして甘受できようか。甘受できない。だから、先に負(fù)けを認(rèn)める必要はない。このように結(jié)論することができる。凡そ天賦の才能を備えている者は、心があり、よく學(xué)べば、何事も達(dá)成することができる。
筆墨自書の八十七。庚子端陽撰重陽改訂、盛欣夫?qū)幉~公書院で。 正書合理,
行草求意。
篆、隸、魏、楷,謂之正書、真書。端莊、穩(wěn)健,精神、威嚴(yán),講究規(guī)整合理。而行草書可以率性而為,提倡靈動活潑、神韻自然。可加入書寫者情感,喜怒哀樂,盡情流露,與畫中寫意一般。自由浪漫,瀟灑自然。忘掉煩惱,書寫自己,可謂快樂藝術(shù)。
筆墨手札之八十八。丙申撰,庚子蒲月魚公盛欣夫于廣德湖上。 正書は理にかない
行草は意境を求む。
篆、隷、魏、楷は正書、直書という。端正で、穏健で、精神があり、威厳があり、整然として理に適っていることが重視される。行書や草書は、わがままにふるまい、フレキシブルで活発で、自然な趣があることを提唱する。書き手の感情、喜怒哀楽を加えて、思い切り表現(xiàn)することができ、絵の描寫と同じである。自由でロマンチックで、あか抜けした自然である。悩みを忘れて、自分を書くことは楽しい蕓術(shù)であるといえる。
筆墨自書の八十八。丙申撰、庚子蒲月魚公盛欣夫が広徳湖で。 盛欣夫,字甫之,號魚公。堂號盛莊、夢齋、惕廬、子魚堂。1949年1月(戊子除夕)生于浙江桐鄉(xiāng)(崇德)盛家木橋。書壇名宿鄒夢禪弟子,國家一級美術(shù)師。中國書法家協(xié)會會員,當(dāng)代作家聯(lián)會理事,中國武術(shù)協(xié)會會員,浙江當(dāng)代中國畫研究院副院長,寧波財經(jīng)學(xué)院教授,寧波大學(xué)客座教授,政協(xié)海曙區(qū)第二、三、四屆專家型特聘委員,海曙書畫院副院長,中國漁業(yè)協(xié)會漁文化分會理事,寧波漁文化促進會藝術(shù)中心副主任,桐鄉(xiāng)市書法家協(xié)會名譽主席,景德鎮(zhèn)魚畫陶瓷研究院名譽院長,魚公書院院長。
數(shù)十年躬讀老莊,用心晉唐,意會晚明,深研楚簡,獨鐘簡草,書畫自己。或書,或畫,或文,或陶瓷繪,其實只為書畫一件事,人生七成在筆墨。如是走來,樂在其中。曾獲"中國書法百杰"稱號、第二屆中國書法蘭亭獎?教育提名獎、嘉興市人民政府藝術(shù)教育成果獎。魚瓷作品與魚類繪畫雙獲農(nóng)業(yè)部、中國漁業(yè)協(xié)會金獎。2019年,書畫六件(組)入藏浙江省博物館等。
主要著作有《甫之識聯(lián)》《魚譜》《魚瓷》《國畫蔬果魚類技法叢譜》《行草十八要旨》《盛莊藝文)(獨寫人生》(書寫入心》《魚公書畫集叢》等30余種。
格言:順其自然 必有自我
作者の紹介
盛欣夫、字は甫之、號は魚公。堂號は盛莊、夢斎、惕廬、子魚堂。1949年1月(舊曆戊子年の大晦日) に浙江桐郷(崇徳) の盛家木橋に生まれた。書壇の名人でめり権威であった鄒夢禪の弟子で、國家一級美術(shù)師である。中國書法家協(xié)會會員、當(dāng)代作家聊誼會理事、中國武術(shù)協(xié)會會員、浙江當(dāng)代中國畫研究院副院長、寧波財経學(xué)院教授、寧波大學(xué)客員教授、政協(xié)海曙區(qū)第二、三、四期専家型特任委員、海曙書畫院副院長、中國漁業(yè)協(xié)會漁文化分會理事、寧波漁文化促進會蕓術(shù)センター副主任、桐郷市書道家協(xié)會名譽主席、景徳鎮(zhèn)の魚の絵の陶磁器研究院名譽院長、魚公書院の院長です。
數(shù)十年にわたり老莊をひたすらに読み、晉唐の文化を體得し、明末の文化を理解し、楚簡(竹簡)の研究に動しみ、草書を?qū)煠椁贰⒆陨恧驎嫟潜憩F(xiàn)してきた。書、畫、文、陶磁器の絵をのすが、ただ書畫に心をこめ、筆と墨の人生を歩んできたが、楽しさはその中にあった。かつて、「中國書法百傑」の稱號を與えられ、第二回中國書法蘭亭賞·教育賞にノミネートされた。魚の陶磁器作品と魚類の絵畫がいずれも農(nóng)業(yè)部、中國漁業(yè)協(xié)會の金賞、嘉興市人民政府蕓術(shù)教育成果賞を受賞。2019年、書と絵六點(組)が浙江省博物館などに所蔵品として収められた。
主な著作には、『甫之識聯(lián)』『魚譜』『魚磁』『國畫野菜·魚類技法羲譜』『行草十八要旨』『盛莊蕓文』『獨寫人生』『書寫入心』『魚公書畫集羲』等30余種がある。格言:自然に従えば、必ず自我有い。
健康博士產(chǎn)品