《書(shū)畫(huà)釋疑》二十六
順其自然 必有自我
文/盛欣夫
和風(fēng)搖曳蒹葭,輕舟牧耘江花。舟子圈圈點(diǎn)點(diǎn),年年悠悠室家。
看似江湖之景,卻為雙鯰題句。舟子有如畫(huà)人,或有所思,或有所意,玩玩也是文化。國(guó)人講吉語(yǔ),講祝福。而這文化,激勵(lì)著人們?nèi)?shí)現(xiàn)自己的夢(mèng)想。年年有余,就是百姓曾經(jīng)的夢(mèng)想。幾千年,一如既往。這就是民間的文化、水墨的文化、百姓的寄托。
筆墨手札之九十七。丙申撰,庚子長(zhǎng)夏魚(yú)公盛欣夫于甬上盛莊。
風(fēng)が蘆を揺らし、軽舟は江に花を耕し。
船頭は棹をさし、家々は年々悠々としている。
江湖の景に似ているが、テーマは二匹のナマズである。船頭は畫(huà)家のように、何かを思い、何かの意境を持っている。遊びも文化である。中國(guó)人が吉語(yǔ)を話(huà)して、祝福の言葉を口にするのも文化である。この文化は人々を自分の夢(mèng)を?qū)g現(xiàn)するように激勵(lì)している。庶民の夢(mèng)は毎年余りがあることである。數(shù)千年、相変らず。これは民間の文化、水墨の文化、庶民の願(yuàn)いである。
筆墨自書(shū)の九十七。丙申撰、庚子長(zhǎng)夏魚(yú)公盛欣夫が寧波盛莊で。
“二王”不是唯一,
大道擠煞“天才”。
學(xué)書(shū)者,大多愛(ài)“二王”。羲獻(xiàn)除了字好,還有實(shí)用。我曾追隨“二王”卅多年,得益匪淺。但如全國(guó)學(xué)書(shū)者多半擠在一條道上,總不利發(fā)展。近十年問(wèn)題日趨嚴(yán)重,可想想最高標(biāo)準(zhǔn)也是“王字”。第二若言有所發(fā)展,你若天才,也難回天。少了競(jìng)爭(zhēng)機(jī)制,少了趕超意識(shí),少了時(shí)代精神??傊倭俗晕遗c自信。近十年來(lái),余避開(kāi)“二王”,從楚簡(jiǎn)找回自信。其實(shí),除了“二王”,還有很多小路可走,如王蘧常的章草、孫伯翔的魏碑都很成功。沈曾植有話(huà)在先:“凡治學(xué),毋走常蹊,必須覓前人夐絕之境而攀登之。如書(shū)法學(xué)行草,唐宋諸家已為人摹濫,即學(xué)‘二王’,亦鮮新意。不如學(xué)‘二王’之所出——章草?!边@是沈曾植對(duì)王蘧常的教誨。王如是照辦,果然正如所言,終成正果。
筆墨手札之九十八。己亥冬撰,庚子文月魚(yú)公盛欣夫并記。
「二王」は唯一ではなく、
大道には「天才」が締め出される。
書(shū)を?qū)Wぶ人はたいてい「二王」が好きだ。羲 · 獻(xiàn)の字がよいだけでなく、実用として用いることもできる。私はかつて「二王」を 30 年余り追いかけ、大いに得るものががあった。しかし、全國(guó)の學(xué)書(shū)者の多くが同じ道にひしめいていたのでは、発展のためには不利である。競(jìng)爭(zhēng)のメカニズムが足りなくなり、超越意識(shí)が足りなくなり、時(shí)代精神が足りなくなる。とにかく、自我と自信が足りなくなる。そこで、この十年間、私は「二王」を避けて、楚簡(jiǎn)から自信を取り戻した。実は、「二王」以外にも多くの小道がある。王蘧常の章草、孫伯翔の魏碑はとても成功している。沈曽植は先に、「凡治學(xué)、毋走常蹊、必須覓前人夐絕之境而攀登之、如書(shū)法學(xué)行草、唐宋諸家、已為人摹濫、即學(xué)二王、亦尟新意。不如學(xué)二王之所出——章草?!梗ㄒ话愕膜藢W(xué)問(wèn)をするなら、みんなについていってはならない。先人が歩いたことのない小道を探して登る。例えば、草書(shū)を習(xí)ったら、唐人宋人の法帖はすでに多くの人に勉強(qiáng)されていて、珍しくない。王氏父子を改めて學(xué)んでも新しい意味がないので、王氏父子の習(xí)った章草を習(xí)うのがいい。)と言っている。これは沈曽植の王蘧常への教戒である。王蘧常がそのとおりにして、やはり実をあげた。
筆墨自書(shū)の九十八。己亥冬撰、庚子文月魚(yú)公盛欣夫記す。
育兩棵樹(shù),
造一片林。
兩棵樹(shù),即書(shū)、畫(huà)。其實(shí)還是一件事——筆墨。既然玩了筆墨,就專(zhuān)心一件事足矣。造一片林,就是讀書(shū),文史哲,或者詩(shī)歌賦。走走看世界,玩玩山水間。一片林是為擁護(hù)兩棵樹(shù)。字外功夫,回頭還是為筆墨服務(wù)。凡事靠自己,走自己的路是福氣。
筆墨手札之九十九。甲申撰,庚子星月崇德魚(yú)公盛欣夫并記甬上。
木を二本植えて、
一面の林を造る。
2 本の木とは書(shū)と畫(huà)である。その実もう一つ筆と墨もある。筆墨を遊ぶからには、この一つに専念してよい。林を作るということは読書(shū)、例えば文史哲、あるいは詩(shī)歌賦である。旅して世界を見(jiàn)て、山水の間を遊ぶ。一面の林はこの 2 本の木を擁護(hù)するためである。字の外の技量はまた筆墨のために役立つ。自分に頼り、己が道を歩くことには福がある。
筆墨自書(shū)の九十九。甲申撰、庚子星月崇徳魚(yú)公盛欣夫が寧波で記す。
順其自然,
必有自我。
此話(huà)從邏輯上,并不很通暢。問(wèn)題在自信。順其自然,不是任其自然。一字之差,差在順字里的一點(diǎn)主動(dòng)性。木筏順流而下,遇到險(xiǎn)灘,就那么一篙一撥,就會(huì)化險(xiǎn)為夷,抵達(dá)目的地,那就是自我。捋順其理,做人不累,不累就無(wú)掛礙,不累也是境界。
筆墨手札之百。庚戌撰,庚子申月崇德魚(yú)公盛欣夫并記于四明廣德湖盛莊。
自然に任せれば
必ず自我がある。
この話(huà)は論理的にはあまり筋道が通っていない。問(wèn)題は自信である?!疙樒渥匀?、不是任其自然?!梗ㄗ匀护藦兢Δ韦稀⒆匀护纬嗓晷肖巳韦护毪长趣扦悉胜?。)一字の違いだが、違ったの「順」の字のわずかな主動(dòng)性である。いかだは流れに沿って下り、危険な干潟に出あうと竿 1 本で危険を無(wú)事に乗り切って目的地に著く。ここにこそ自我がある。その道理に従うので、疲れない。疲れなければ大丈夫で、疲れないのもまた境地である。
筆墨自書(shū)の百。庚戌撰、庚子申月崇徳魚(yú)公盛欣夫が四明広徳湖盛莊で記す。
凡事必知所以然,明白自己過(guò)天天。
了解昨天為今天,總結(jié)今天為明天。
做明白人不易,但必須明白自己當(dāng)下所為。所謂理論,源于實(shí)踐,再可指導(dǎo)實(shí)踐。明白傳統(tǒng),方能做好當(dāng)下。善于總結(jié)今天,才能繼續(xù)明天,所以做理論,必須實(shí)事求是,必須“采銅于山”。推陳出新,方可發(fā)展。不能“舊銅翻新”,不能東湊西拼,更不能帶有私欲,充蒙稚子。健康學(xué)術(shù),健全學(xué)養(yǎng),作用發(fā)展,內(nèi)涵筆墨。寧為小善,慎放大言,勿立山頭,不樹(shù)己黨。踏實(shí)自己,以利明天。
筆墨手札百又一。庚子立夏撰,同歲夷則魚(yú)公盛欣夫并記。
何事についても何故かを知り、
己を知って日々を過(guò)ごす。
昨日を知ることは今日のため、
今日を総括するのは明日のため。
己を知ることは簡(jiǎn)単ではないが、自分が今やっていることを知らなければならない。理論とは実踐から生まれ、更に実踐を?qū)Г长趣扦?。伝統(tǒng)を理解してこそ、今をしっかりと行うことができる。今日を上手に総括できて初めて明日を続けることができる。だから、理論を?qū)g行するには、事実に基づいて真実を確認(rèn)し、「銅を山で採(cǎi)掘」しなければならない。古いもののよさを生かして新しいものを作り出して初めて発展することができる?!概f銅再生」はできず、私欲を持ち、子どもになるのはよくない。健康な學(xué)術(shù)は、學(xué)養(yǎng)を健全にし、作用を発展させ、筆墨を內(nèi)包する。むしろ小善にして、慎重に物事を言い、山のてっぺんに立たず、己の朋黨を樹(shù)立しないようにする。地に足が著き、明日のために行動(dòng)する。
筆墨自書(shū)の百又一。庚子立夏撰、同歳夷則、魚(yú)公盛欣夫記す。
盛欣夫,字甫之,號(hào)魚(yú)公。堂號(hào)盛莊、夢(mèng)齋、惕廬、子魚(yú)堂。1949年1月(戊子除夕)生于浙江桐鄉(xiāng)(崇德)盛家木橋。書(shū)壇名宿鄒夢(mèng)禪弟子,國(guó)家一級(jí)美術(shù)師。中國(guó)書(shū)法家協(xié)會(huì)會(huì)員,當(dāng)代作家聯(lián)會(huì)理事,中國(guó)武術(shù)協(xié)會(huì)會(huì)員,浙江當(dāng)代中國(guó)畫(huà)研究院副院長(zhǎng),寧波財(cái)經(jīng)學(xué)院教授,寧波大學(xué)客座教授,政協(xié)海曙區(qū)第二、三、四屆專(zhuān)家型特聘委員,海曙書(shū)畫(huà)院副院長(zhǎng),中國(guó)漁業(yè)協(xié)會(huì)漁文化分會(huì)理事,寧波漁文化促進(jìn)會(huì)藝術(shù)中心副主任,桐鄉(xiāng)市書(shū)法家協(xié)會(huì)名譽(yù)主席,景德鎮(zhèn)魚(yú)畫(huà)陶瓷研究院名譽(yù)院長(zhǎng),魚(yú)公書(shū)院院長(zhǎng)。
數(shù)十年躬讀老莊,用心晉唐,意會(huì)晚明,深研楚簡(jiǎn),獨(dú)鐘簡(jiǎn)草,書(shū)畫(huà)自己。或書(shū),或畫(huà),或文,或陶瓷繪,其實(shí)只為書(shū)畫(huà)一件事,人生七成在筆墨。如是走來(lái),樂(lè)在其中。曾獲"中國(guó)書(shū)法百杰"稱(chēng)號(hào)、第二屆中國(guó)書(shū)法蘭亭獎(jiǎng)?教育提名獎(jiǎng)、嘉興市人民政府藝術(shù)教育成果獎(jiǎng)。魚(yú)瓷作品與魚(yú)類(lèi)繪畫(huà)雙獲農(nóng)業(yè)部、中國(guó)漁業(yè)協(xié)會(huì)金獎(jiǎng)。2019年,書(shū)畫(huà)六件(組)入藏浙江省博物館等。
主要著作有《甫之識(shí)聯(lián)》《魚(yú)譜》《魚(yú)瓷》《國(guó)畫(huà)蔬果魚(yú)類(lèi)技法叢譜》《行草十八要旨》《盛莊藝文)(獨(dú)寫(xiě)人生》(書(shū)寫(xiě)入心》《魚(yú)公書(shū)畫(huà)集叢》等30余種。
格言:順其自然 必有自我
作者の紹介
盛欣夫、字は甫之、號(hào)は魚(yú)公。堂號(hào)は盛莊、夢(mèng)斎、惕廬、子魚(yú)堂。1949年1月(舊曆戊子年の大晦日) に浙江桐郷(崇徳) の盛家木橋に生まれた。書(shū)壇の名人でめり権威であった鄒夢(mèng)禪の弟子で、國(guó)家一級(jí)美術(shù)師である。中國(guó)書(shū)法家協(xié)會(huì)會(huì)員、當(dāng)代作家聊誼會(huì)理事、中國(guó)武術(shù)協(xié)會(huì)會(huì)員、浙江當(dāng)代中國(guó)畫(huà)研究院副院長(zhǎng)、寧波財(cái)経學(xué)院教授、寧波大學(xué)客員教授、政協(xié)海曙區(qū)第二、三、四期専家型特任委員、海曙書(shū)畫(huà)院副院長(zhǎng)、中國(guó)漁業(yè)協(xié)會(huì)漁文化分會(huì)理事、寧波漁文化促進(jìn)會(huì)蕓術(shù)センター副主任、桐郷市書(shū)道家協(xié)會(huì)名譽(yù)主席、景徳鎮(zhèn)の魚(yú)の絵の陶磁器研究院名譽(yù)院長(zhǎng)、魚(yú)公書(shū)院の院長(zhǎng)です。
數(shù)十年にわたり老莊をひたすらに読み、晉唐の文化を體得し、明末の文化を理解し、楚簡(jiǎn)(竹簡(jiǎn))の研究に動(dòng)しみ、草書(shū)を?qū)煠椁贰⒆陨恧驎?shū)畫(huà)で表現(xiàn)してきた。書(shū)、畫(huà)、文、陶磁器の絵をのすが、ただ書(shū)畫(huà)に心をこめ、筆と墨の人生を歩んできたが、楽しさはその中にあった。かつて、「中國(guó)書(shū)法百傑」の稱(chēng)號(hào)を與えられ、第二回中國(guó)書(shū)法蘭亭賞·教育賞にノミネートされた。魚(yú)の陶磁器作品と魚(yú)類(lèi)の絵畫(huà)がいずれも農(nóng)業(yè)部、中國(guó)漁業(yè)協(xié)會(huì)の金賞、嘉興市人民政府蕓術(shù)教育成果賞を受賞。2019年、書(shū)と絵六點(diǎn)(組)が浙江省博物館などに所蔵品として収められた。
主な著作には、『甫之識(shí)聯(lián)』『魚(yú)譜』『魚(yú)磁』『國(guó)畫(huà)野菜·魚(yú)類(lèi)技法羲譜』『行草十八要旨』『盛莊蕓文』『獨(dú)寫(xiě)人生』『書(shū)寫(xiě)入心』『魚(yú)公書(shū)畫(huà)集羲』等30余種がある。
格言:自然に従えば、必ず自我有い。
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